大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和52年(う)373号 判決

被告人 辻文明

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人吉永精志、同羽成守、同三宅雄一郎が連名で差し出した控訴趣意書及び同補充書に、これに対する答弁は、検察官関口昌辰提出の答弁書にそれぞれ記載してあるとおりであるから、これらを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断する。

第一、事実誤認の主張について

所論は要するに、原判決は被告人の意思につき「事務所等に忍び込んで窃盗を働き、もし他人に発見された場合にはこれに脅迫を加え、金品を得るか、もしくは逮捕、賍物の取還を免れることを計画するに至り」と判示し、「主張に対する判断」の中で右意思は条件付のものとして一応確定していたと認定しているが、被告人は盗みをしようと思いつき自己のアパートを出たものの二日間も無為に過ごしていたことからして、池袋駅で下車してからの被告人の意思は、もし機会があれば盗みにはいろうという程度の漠然たる意思はあつたかもしれないが、それを現実化する意欲に欠けていたと認むべきものであるから、「他人に発見された場合脅迫する意思」を有していたとしても、それは具体性のない漠然とした不確定的な意思に過ぎなかつたのであり、仮に盗みにはいる意思がある程度明確なものであり、しかも、他人に発見された場合には所携の模造拳銃で脅す意思があつたとしても、「他人に脅迫を加えて金品を得る」までの意思はなく、「これに脅迫を加えて逃げる意思」を有していたにとどまるのであり、更に居直り強盗の意思があつたとしても、それはただ場合によつて居直り強盗に転ずることがあるかもしれないという程度の未必的、かつ不確定的な意思に過ぎなかつたものであつて、いずれにせよ被告人の右のような意思は、強盗予備罪にいう「強盗の目的」に当たるとは到底いえないから、原判決が被告人において前記のような意思を有していたと認定判示したのは事実を誤認したものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであると主張し、その理由を縷説するものである。

よつて審按するに、原審において取り調べた各証拠及び当審における事実取調の結果により

(一)  特に争いのないものとして次の事実が認められる。

被告人は勤務先の会社を退職し、以降退職金や失業保険金によつて生活していたが、適当な職が見付からないうちに貯えも次第に底をつき、昭和五一年一〇月一〇日に受け取つた失業保険金九万円もほとんど使い果し、生活費に窮したあげく、事務所等に忍び込んで窃盗を働こうと思い立ち、同月二三日、アタツシユ・ケースにドライバー、ペンチ、ニツパー、ガラス切り、金づち等の窃盗のためのいわゆる七つ道具及び模造拳銃、登山ナイフ(刃体の長さ約一四・五センチメートル)を入れて(右拳銃及びナイフを所持したことに対する被告人の意思については後述する。)東京都杉並区の下宿を立ちいで、同都内新宿におもむいたが、盗みの経験がないために実行に移すことができず、サウナで一夜を明かし、翌二四日も昼前町に出たものの同様の状態で新宿の地下道を夜まで徘徊し、そしていつたんは、夜中ひそかに下宿に戻ろうと思い同日午後一〇時ころ国電山手線に乗り込み時間を費しているうちに眠り込み、翌二五日午前一時ころ終点の同都内池袋駅で下車させられ、同駅構内からも追い出されたので、同駅東口前から明治通りを北に進み、三和銀行池袋支店の横(南側)を東に折れ、原判示のビル街の路上を往復して同日午前一時五〇分ころ警察官の職務質問を受けたものである。

(二)  被告人の窃盗の意思について考えてみるに、本件は窃盗のための用具準備の周到さには注目すべきものがあるけれども、またその周到さのゆえにかえつて稚拙の感がないでもない。しかし前記のように下宿先を出る際の真剣に思い悩んだ心情からして、被告人の盗みにはいろうという意思には、ある程度強固なものがあつたと認めざるを得ない。もつとも右窃盗の意思は、いつたん帰宅を決意したことにより減衰あるいは消滅したものと認められるが、終電車のため池袋駅で降ろされて帰宅を断念せざるを得ず、同駅東口の前記ビル街に出た時点では右窃盗の意思が再燃したものとみるに十分であり、盗みにはいるのに適当なビルを物色しながら徘徊していた事実を明認できるのであるから、右意思をもつて具体性のない漠然とした不確定的なものに過ぎないとすることはできない(なお、当審における検証調書によれば、池袋駅前の前記ビル街の北側は銀行、デパート、空地、南側は喫茶店、レストラン、事務所等が雑居している三階ないし九階建のビル等が建ち並んでるが、それらの建物の出入口にはシヤツター等が取り付けられているためそこからたやすく侵入することはできず、また、ビルとビルとが密着しているためその側面に入り込む余地もほとんどなく、特に被告人のように窃盗の経験のない者にとつて適当な場所でないことは明らかであるが、このことのゆえに被告人に窃盗の意思がなかつたとか、その意思に具体性がないということはできない。)。

(三)  模造拳銃及び登山ナイフを携帯したことについての被告人の意思を検討するに、この点につき原判決は、「窃盗を働き、もし他人に発見された場合にはこれに脅迫を加え、金品を得るか、もしくは逮捕、賍物の取還を免れることを計画するに至り、これに使用する兇器として」それらの物品をアタツシユ・ケースに入れて携帯したと判示しているのであり、これに添う被告人の司法警察員に対する供述調書(二通)もあるのである。しかしながら、被告人の供述としてそれ以外のものはすべて未必的な強盗の意思を否定し、検察官に対する供述調書では「もし人に見つかつたらナイフやピストルで脅して逃げようと決心したのです。」と述べて、いわゆる事後強盗における脅迫に使用するためのものである旨の供述をし、原審及び当審における公判廷においてもこれと同趣旨の供述を重ねているのである。一般的に言つて、窃盗の意思を持つ者が兇器を所持する場合その使用を事後強盗に限定するのはむしろ異例とも考えられるのであり、また強盗等の予備罪については、その者が所持する物品の種類、形態、性状等の客観的側面からその意思を推認することも通常なされるものであるところ、このような観点に立てば原判決の認定も一応首肯できないわけではないが、本件においては、被告人自身窃盗の前歴がなく、人気のない場所での事務所荒しを企図したところからみて、人に見付かつたとき脅迫を財物奪取の手段とすることまでは意識しなかつたとするのも、あながち不自然であるとはいえないのであつて、その意味においては被告人のその趣旨の供述もある程度納得できるものがある。したがつて、前記兇器等携帯についての被告人の意思は、盗品の取還を拒ぎ、または逮捕を免れるために使用する意図のもとにこれらを所持していたものと認定するのが相当であり、原判決の前記認定にはやや行き過ぎのうらみがないではないが、本件においては、後記のとおり、事後強盗についてその予備罪の成立が認められるから、右の点は判決に影響を及ぼすほどのものではない。

以上のとおり、原判決には所論のような事実誤認はなく、論旨はいずれも理由がない。

第二、法令の解釈及び適用の誤りの主張について

(一)  所論は、原判決は事後強盗も強盗をもつて論ぜられるのであるから、強盗予備罪における「強盗」にこれらの類型が文理上含まれないとは解し難い旨判示しているが、事後強盗は本来的に強盗と類型を異にしており、単に法定刑を同じくするに過ぎず、文理上刑法二三六条の強盗には含まれないし、仮に事後強盗の目的が強盗予備罪にいう「強盗の目的」たり得るとしても、事後強盗はいわゆる身分犯であり、いまだ窃盗犯人でない者が何らかの準備行為をしたとしても事後強盗の予備という構成要件を充足することはないから、いずれにしても事後強盗の意思にとどまる場合は強盗予備罪が成立する余地はなく、原判決はこの点において刑法二三七条の解釈を誤つており、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

しかしながら、刑法二三八条に「強盗ヲ以テ論ス」とあるのは、強盗(同法二三六条一項の)といわゆる事後強盗とは、その構成要件においていずれも財物の奪収並びに暴行または脅迫を含み、犯罪類型において近似したものがあるばかりでなく、現象的にみても極めて類似するものがあつて、その危険性の程度も両者において特段に異なるところがなく、よつて事後強盗を刑法上強盗と同等に取り扱おうとする趣旨に解せられるから、単なる条文の配列、あるいは文理解釈を理由に事後強盗の意図が強盗予備罪にいう「強盗の目的」に含まれないとするのは相当でない。また、事後強盗を身分犯であるとして、いまだその身分を取得しない者の行為に事後強盗予備の構成要件充足ということはあり得ないとする所論についても、およそ予備というものは犯罪の実行に着手する以前に特定の犯罪の準備行為をするものであるから、これを本件についていえば、被告人がいまだ事後強盗の構成要件の一部である窃盗の実行行為に着手していないことを論拠に本罪の成否を云々するのは当たらないというべきである。

(二)  次に所論は、強盗予備罪にいう「強盗の目的」は確定的でなければならないが、事後強盗を目的とする予備罪は、必然的に不確定たらざるを得ないから、事後強盗は強盗予備の目的たり得ないと主張する。

右「目的の確定性」が何を意味するかによつて判断を異にするけれども、たしかに事後強盗は、まず窃盗の実行の着手に始まり、次いで窃盗によつて得た財物の取還を拒ぎ、または逮捕を免れる意図のもとに、これに暴行、脅迫を加えるものであつて、その構成要件には段階的なものがあり、しかも次の段階への発展が、他人に見付かるという一種の条件にかかつているとみられるけれども、そうであるからといつて、事後強盗における強盗予備罪の成否を考える場合、もつぱら観念的に「暴行、脅迫に及ぶ意図」を不確定的であるとして右予備罪の成立を否定すべきものとは到底考えられず、むしろ、事後強盗の構成要件が持つ右のような特徴を踏まえつつ、その行為者の窃盗並びに前記暴行、脅迫についての意思の強弱並びに確定の程度によつてその成否を決すべきものと解するのが相当である(所論には、事後強盗の発生率をその前提となる窃盗のそれと対比し、その確率をもつて右確定性否定の論拠とする個所があるが、首肯できない。なお右に関連して一言するに、事後強盗が決して稀に発生するという種類の犯罪ではなく、広義の強盗罪の中においても件数的にある程度の割合いを占めることは経験上明らかであるところ、しかも本件のようにあらかじめ事後強盗を意図している場合でないにもかかわらず、その挙にいで、致死、致傷にまで発展する事例も少なくないことにかんがみ、その危険性に十分着目しなければならず、早期にその企図を発見して意図する犯罪の発生を防止する必要性の高いことは通常の強盗の場合と異なるところはない。)。

(三)  最後に、所論が、被告人の事後強盗の意思なるものは前記のような情況のもとに池袋駅で下車させられたため不本意ながら形成された不確定な意思であつて、人に見付かつたとしても必らず脅すとは限らない未必的なものと認められ、その実行行為に出る蓋然性は極めて乏しかつたのであるから、右の程度の事後強盗の意思は刑法二三七条にいう「強盗の目的」に当たらないというべきであるのに、原判決がこれに当たるとして同条を適用したのは誤りであると主張する点について検討するに、右に関する事実の認定については既に判断を示したとおり、被告人は深夜人気のない本件ビル街において侵入すべきビル(事務所等)を物色しながら徘徊し、窃盗の実行に極めて近接した行為に及んだうえ、その実行に着手したのちもし他人に見付かつたならば逮捕を免れるため所携の兇器等で脅して逃げる旨を一貫して供述しているのであつて、所論のようにこれを漠然たる不確定な意思とみることはできず、かえつてこれらの意思は相当強固なものがあり、かつ確定していたものと認めるのが相当である(なお、特に窃盗あるいは強盗というような比較的被害者の個性にかかわりなく発生する犯罪にあつては、その対象が人的、物的((例えば場所))に具体的に特定されていないからといつて、その意思を不確定的であるとして予備罪の成立を否定することは相当でない。)。

以上のとおりであつて、原判決のこれら諸点(ただし、未必的な強盗の犯意の認定を前提とする点を除く)に関する見解もおおむね肯認し得るところであり、原判決には所論のような法令の解釈、適用の誤りはなく、論旨はいずれも理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 服部一雄 藤井一雄 中川隆司)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例